黄金時代

だいたい映画のはなし

尾形百之助の深淵

ゴールデンカムイ野田サトル/2014)を読んだ。ハマると分かっていてずっと読む機会を逸していたのだが、こんなこと↓人生で二度と訪れないので、ありがたくご厚意に与ることとした。早速紙でも買わせていただきました(おとなでよかった!)。

 

で、尾形百之助という男……… 闇深すぎか!?!?!?!?

底無しの瞳と(モブ4話を除く)誰にも推し量れない腹の内、絡み付いて離れない過去と高らかに積み重なった罪の数々、それら全ての見透かせない漆黒さよ。尾形百之助という男の深淵をまんまと覗いてしまった。

尾形の目的は未だ不明だが、尾形が機能不全家族で育ったアダルトチルドレンということはすでに白日の下。絶望的に自己肯定感が低く、己の手で葬った過去に縛られ動けないどころか、無意識のうちに罪悪感を亡霊として顕現させ自ら纏っている男…。性懲りも無く今日もその深淵を覗き覗き返されじたばたします。なんてこった。

以下、最新話(286話)までのネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

  

 滲み出す過去と深層心理

やっぱり俺では駄目か うまくいかんもんだな

187話、尾形史上最も美しくて哀しいのに心底優しい微笑みに、どれだけの読者が尾形という抗えない小銃弾に胸を貫かれたことだろう。伏せられた瞳は諦めと自虐と憧憬をはらみ、脳裏に浮かんだ誰のようにも、誰の何者にさえなれなかったことを悟って、またひとり尾形が百之助を殺してしまう瞬間。つらい。

あんこう鍋が食べたい… 

尾形の貧相な想像力は、感情や感受性の乏しさをありありと映し出している。狙撃手として一流な尾形はヴァシリとの心理戦で“己であればどう思考するか”を起点に見事勝ち切るわけだが、アシリパさんとの問答において、即席で話をでっち上げられるほどには杉元に興味もなければ推し量る技量もないため(樺太編で不器用ながらどこかアシリパにとっての杉元に成り代わろうとしているような尾形は健気で滅茶苦茶可愛かったけど)、独白という体たらくに成り果てていることに自身すら無意識であるほど。尾形、きみ、母親の話しかしてないよ、好物のあんこう鍋をまだ自分に対する愛情があったころの母(トメ)と一緒に食べたい、が尾形が杉元に言わせた「故郷へ帰りたい」の深層心理ということなのだろうか。つらい。

親孝行の息子です ご報謝願います

深層心理とか言い出したら240話の悪趣味な“親孝行芸”、メイクが必然的に花沢中将と百之助を成すのも、痛切な自己風刺の奥底で“親孝行”と父親に誇りに思われるような“祝福された道”を渇望する暗喩にさえ見えてきて本当に怖い。つらい。

 

 

 

鯉登(自己承認)と宇佐美(対等)と勇作さん(罪悪感)

барчонок 

圧倒的に自己肯定感の低いこの男が唯一自己承認を得られる瞬間、それは自分より高次に生きる人間が自分の所まで堕ちてくるのを眺めるとき。199話で兄のようになれずに申し訳ないと父に謝る音之進の背中を撫ぜた尾形の手、陥落を確信したその時、尾形は労りではなく音之進に己を見て侮蔑すら抱き薄ら笑っていたのではないか。尾形の歪んだ自己の慈しみ方。その後のちゃぶ台返しに、尾形にとって至高の時間をおじゃんにされた怒りが、細くのぞいた黒目と堪らず吐き捨てられた台詞に滲み出している。

…お前達のような奴らがいて良いはずがないんだ

一方、自ら堕落への引導を渡そうとするほど、高潔な人間の光(生き方)は相対する闇を嫌というほど際立たせるので尾形にとって勇作さんはその存在を目の当たりにするだけで、自分の存在が否定されるように感じていたのだろう。差し出して取ってもらえなかった(他者による否定)宙ぶらりんの手を引っ込める方法(再適応のメカニズム)が“殺し”(否認)でしかない尾形、虚を確かめては同じことを繰り返し続けている。尾形が自ら手を差し出す相手はみな、愛してほしいと願った人間なのにね。今となってはもう過去にしか存在しないものに執着して一人だけじっと過去を見詰めている尾形にとって、金塊なんて本当にどうでもいいのかもしれない。

あんなの単なる親の七光りでしょ みんな勇作殿を美化しすぎてない?

尾形が欲しかったのは赦しでも慈しみでもなかったので、生前の勇作さんのどの言葉も尾形には届かないわけだが、その点、宇佐美と尾形はいびつな二人だからこそピッタリと嵌る何かがあって、互いの本気の地雷からその瞬間に欲しい塩梅の良い言葉や感情の機微まで、言葉なくして共有できる特異で稀有な関係だったように思う。243話で罪悪感について、ほとんど尾形の独白のような問いに肯定の相槌を返す宇佐美、決して煽っているわけじゃないんだよな。歳は宇佐美のほうが一つ上だけど入隊同期とかほぼ同い年でいつも同じようなキャリアを同時に歩んでいる、そういう腐れ縁みたいなもの。特異で稀有だけど、“特別”ではない、絶妙な距離感とバランスでなんとか保っていた均衡、崩れ去るときは一瞬に潔いところまでが二人らしくて、256話が大好き。狙撃手として完成する尾形と、鶴見のピエタと成り得た宇佐美、一方だけの搾取にならないところが限りなく対等だった二人らしいことこの上ない幕引きだった。

兄様はけしてそんな人じゃない きっと分かる日が来ます 人を殺して罪悪感を微塵も感じない人間がこの世にいて良いはずがないのです

165話、虚無顔で勇作さんの慈愛になすがままになっていた尾形、勇作さんにだけは赦されたくない気持ちと、それでも勇作さんには愛されてみたいという好奇心との捻れが“尾形の罪悪感=勇作さんの亡霊”を見事に創り上げたのだろう。アシリパの中に勇作さんを見て以来、アシリパを透かすどころか、アシリパ“勇作さん”をコンティニューしちゃってる尾形…。杞憂と分かっていながら、それでも二度も尾形に勇作さんを殺させないで欲しい。がんばれセコム! 

 

 

 

尾形百之助の向かう先 

では、あの時勇作さんが尾形の甘言に乗って見せれば、いっそのこと一思いに尾形を詰りでもすれば満足だったのだろうか。勇作さんが堕ちたところで、アシリパの手で殺められたところで、得られるのは一時の快感でしかなく、救済には程遠いだろう。尾形が欲しかったもの、原型をなくすほどまでに拗れてしまう前に、差し出した手を取って欲しかっただけなんだよね。今となっては尾形の救済が存在するのかも分からないし、尾形はこのまま過去の中に生き続けるしかないのかもしれないが、少なくとも自分で生み出した勇作さんとは生きているうちに向き合えるといい。

むむ? こいつ勇作ではないぞ!?

尾形の一番好きなシーン、278話で勇作さんが替玉と知った瞬間のお手本のような見事なへの字! 本来は無口でも無表情でもない、ちょっと不器用なだけの素直な子だったのだろうと思う。81話の最後の晩餐で転向者マタイだったからってアシリパに尾形の救済まで背負わせる気は毛頭ないし、救済も自己愛も今の尾形に望むことは酷だとさえ思っているが、マタイと描かれたように右目を棄てて生を延長することになったのだし転向者の素質はあるのだから、チタタプしてヒンナヒンナする祝福くらいは、尾形にもこの先もっともっと沢山訪れますように。